富士山ー信仰の対象と芸術の源泉 構成資産 | トラベックスツアーズ

富士山世界遺産構成資産 富士山世界遺産構成資産

日本の最高峰(標高3,776m)である富士山は、その壮大さと、頻繁に繰り返された荒々しい噴火によって、古くから人々の畏敬を集め、独自の「伝統」や「信仰」を生み出してきました。 またその円錐形をなす荘厳で美しい姿は、日本国内のみならず、西洋諸国の多くの芸術家にもインスピレーションを与え、数多くの「芸術の源泉」となっています。
ここでは世界文化遺産「富士山」の構成資産やおすすめ日帰りバスツアーを紹介いたします。

 

浅間神社

浅間神社イメージ

富士山麓の浅間神社は、富士山の噴火を鎮めるために富士山を神(浅間神または浅間大神)として祀った神社。
富士山本宮浅間大社はその起源であり、全国に多数ある浅間神社の総本宮で、現在も東日本を中心に広く信仰されています。
山宮浅間神社は富士山本宮浅間神社の前身とされる神社。境内には本殿に相当する建築がなく、富士山を仰ぎ見る方向に軸を合わせた位置に祭壇や石列の区画から成る遥拝所が設けられています。このような独特な地割は、富士山に対する「遥拝」を主軸とする、古来の祭祀の形式を示しているものと推定されています。
1900年以上の歴史を持つ北口本宮冨士浅間神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方への遠征の折に祠を建てて祀ったのが始まりとされています。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点として富士山まで吉田口登山道が続いています。また本殿を始め境内にある11棟の建造物が、国の重要文化財に指定されています。

山中湖

>山中湖イメージ

富士山の東北麓に位置する山中湖は、富士山の火山活動によって形成された堰止湖で、富士五湖の1つとして知られています。標高は981mと富士五湖の中では最も高い場所に位置し、面積も最大の6.8平方kmにもなります。
16世紀後半に修験道の行者であった長谷川角行が富士山麓の湖沼で水行を行ったとの伝承に基づき、その後の時代においても富士五湖をはじめとする富士山周辺の八つの湖で水行する「内八海巡り」などの水行の場として巡礼の対象とされてきました。
現在では、湖畔からは富士山頂に夕日が沈む「ダイヤモンド富士」が見られるスポットとして、カメラマンや観光客に人気が高い場所となっています。

河口湖

河口湖イメージ

富士五湖の中で最も長い湖岸線を持つ河口湖。富士五湖で唯一、島(うの島)を抱えており、水深は最深部で14.6m、面積は5.7平方キロ。
その魅力は多岐に渡りますが、魅力の1つに壮大な自然美が挙げられます。湖面にうつりこむ富士山の雄大な姿と四季折々の風景が織りなす景観はまさに絶景!特に春には、桜と富士山のコントラストが見られ、その景色は額に収めて飾りたいほど…!
古くからその風光明媚な景観は多くの文学、絵画作品の舞台となっており、河口湖に映る逆さ富士を描いた葛飾北斎の「甲州三坂水面」や、歌川広重の「甲斐御坂越」などが有名です。その影響は国内のみならず、西洋の数多くの芸術作品に影響を及ぼしたんだとか。まさに芸術の源泉です。

忍野八海

忍野八海イメージ

富士山の伏流水に水源を発する8つの湧水池からなる景勝地で、その清らかで澄み切った美しい水が特徴です。
古くから富士講の信者たちが訪れる巡礼地(富士山根元八湖霊場)でもあり、八つの池にはそれぞれ法華経の教えに基づいた八大竜王と和歌が刻まれた石碑が建てられています。
また忍野八海は「形状・水質・水量・保全状況・景観・仏教思想(富士信仰)など」の観点から昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定され、昭和60年(1985年)に環境庁から全国名水百選に選出されました。また平成6年(1994年)には、県新富岳百景選定地にも指定されました。

三保松原

三保松原イメージ

静岡県静岡市清水区にある三保半島には沿岸の約5kmにわたり松林が続いており、三保松原と呼ばれています。
奈良時代には、天女が舞い降りたという「羽衣伝説」が語られ、日本最古の詩歌集である『万葉集』にも三保松原を詠んだ和歌があるように、白砂青松と霊峰富士の眺望の素晴らしさは古くから全国にその名が知られていました。
近世においても、三保松原は富士山を描く際の代表的な構図として認識されるようになり、歌川広重らの絵画作品をはじめ、海外でも著名な芸術作品のモデルの地として知られるようになりました。
現代では、大沼公園(北海道)、耶馬渓(大分県)と並び「日本新三景」とも呼ばれています。

吉田口登山道

吉田口登山道イメージ

古道として唯一、北麓の北口本宮冨士浅間神社から富士山頂の東部まで歩いて登ることができ、数ある登山道の中でも富士参詣の中心的な登山道です。
江戸~明治時代にかけては「富士講」とよばれる富士山信仰が流行し、多くの人々がこの道から富士山頂を目指しました。1964年に五合目まで通じる富士スバルラインが開通した影響で、登山道の利用者が一時的に激減しました。しかし最近では、山頂に至るまでに数多くの史跡や文化財が残されていることが再評価され、歴史道としての人気も高まり、再びこの登山道を利用する方が増加しているそう。
歴史を感じながら、富士登山に挑戦してみるのはいかがでしょうか。

御師住宅

御師住宅イメージ

巡礼者の宿泊や食事の手配、巡礼地の案内を行い、富士山信仰を支えた人々を御師と呼び、彼らの住まいを御師住宅と言います。北口本宮冨士浅間神社の門前には、こうした御師住宅が立ち並び集落が形成されました。
世界遺産には旧外川家住宅と小佐野家住宅の2つが登録されています。

人穴富士講

マザー牧場あじさいイメージ

富士山の西麓に位置する人穴富士講遺跡は、長谷川角行が苦行を行い、入滅したとされる風穴の「人穴」を中心とする遺跡群のことで、周辺には富士講信者が造立した約230基もの碑塔群が残されています。
13世紀にはすでに、人穴が「浅間大神の御在所」として神聖視されており、『吾妻鏡』には鎌倉幕府2代将軍源頼家の命で、洞内を探検した武士の霊的体験に関する記述も残っています。